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碓権現熊野神社

碓権現熊野神社
碓権現熊野神社
基本データ
旧社格など県社
総本社 熊野三山(くまのさんざん):
熊野本宮大社熊野速玉大社熊野那智大社
ご祭神 [本宮:両県]
伊弉冉尊/伊邪那美命(いざなみ)
※[別名]黄泉津大神(よもつおおかみ)
[那智宮:長野]
予母津事解男神/泉津事解之男(よもつことさかのお)
※[通称]事解之男命(ことさかのお)
[新宮:群馬]
速玉男命/速玉之男命(はやたまのお)
ご祭神について 伊邪那美命:最古の夫婦神の一つ(夫婦婚姻の神)、数多くの神々を産み落とした子授の神、黄泉国の主宰神、万物を生み出す神、創造神、海の神、製鉄の神
事解男命/速玉之男命:
唾液の誓約力が速く玉の光のごとき霊力をもつ男性
=離縁の神
ご利益 殖産振興、良縁祈願、心願成就、子授り、子育大願、悪縁切り 他
参拝形式 二拝二拍一拝
創建 第12代景行天皇の御代(71年〜130年)
由緒 当社は長野県と群馬県の県境上に鎮座しており、このため、一つの社でありながら、長野県熊野皇大神社と群馬県熊野神社に分かれており、両県それぞれに宮司を擁するという非常に変わった形態を取っている。また、社伝によれば、日本武尊(ヤマトタケル)が碓氷嶺に登った際、急に濃霧で進めなくなったといい、そのとき一羽の八咫烏(ヤタガラス)が現れ、紀州熊野の梛木(ナギ)の葉をくわえ、落としながら先導し、それについて行き山頂に至ることができたという。そして、日本武尊は碓氷峠の山頂から遠くの海を眺め、相模灘で荒波を静める為に海中に身を投じた最愛の妻、弟橘姫(オトタチバナナヒメ)を偲び「吾嬬者耶(アヅマハヤ)」「ああ、いとしき我が妻よ」と三嘆したと伝えられており、この事から、この山を「長く悲しんだ山」と言うようになり、それがにごり長倉山になったという。このため、軽井沢では、「長倉」の地名が多く、日本武尊にちなんだ地名として「霧積」「吾妻」「嬬恋」も上げられる。そして、日本武尊はこの八咫烏の導きを熊野神霊の御加護によると考え、ここに熊野三社を祀り、第12代景行天皇の御代(71年〜130年)に勧請したと伝えられる。当初は、長倉神社熊野宮または長倉山熊野大権現と称したが、社地が信濃・上野の境界となり上野国も入ったため熊野宮と名称が短くなった。また碓氷神社、熊野大権現とも呼ばれたが、1868年(慶応4年)に熊野皇大神社に改称したという。第二次世界大戦後に宗教法人法が制定された際、都道府県ごとに宗教法人の登記がされることになったため、ひとつの神社でありながら県境を挟んで、長野県側が熊野皇大神社、群馬県側が碓権現熊野神社という別々の宗教法人となった。そのため、一つの神社だが、宮司や社務所、賽銭箱、お守り、ご祈祷は別々である。
所在地 (〒389-0121)群馬県安中市松井田町峠1
最寄り駅 ●しなの鉄道線「軽井沢」駅より徒歩約58分
その他アクセス −−−−−
電話番号 0267-42-3490
ポイント
当社は由緒にある通り、一つの社でありながら、熊野皇大神社(長野県)と碓権現熊野神社(群馬県)の2社に分かれている。
ご朱印対応 不明
公式HP 碓権現熊野神社公式サイト
MAP(地図)
イベントスケジュール
5月15日祈年祭
7月15日梛の葉祭
10月15日例大祭(新嘗祭)
その他イメージ
正面鳥居前
神門
境内社